その様な意識は皆無であるので・・・
結構(かなり)辛いです
メッセージを受取ってからも、こんな課題を自ら設定して何を学べと言うのだ・・・
なんて事を、考えます。
それでも、障害を感じるたびに自分自身と向き合う(内観)をたくさん行って、自分にとって何が必要なのだろう、何を学べば良いのだろう、問題が解決するまで内観は自然と続きます。
明確な答えが出る場合は稀ですが、ボンヤリとした結果にたどり着く時もあります。
本当につらい課題の時は、自分自身が常識と思っている事やこうしないとダメなんだと思っている事へ向き合わされます。これは本当に辛い・・・逃げ出したくなる(困
試練と呼ばれるような事でも、多くの時間が過ぎれば思い出となり、あの時は大変だったな
良く解決できたよな、二度と味わいたくは無いな・・・と思い返しますが、何を学べたのか?
どう変わったのか?とは、なかなか考える事は出来ていませんでした。
最近は思い出したときに、あの事で何を学んだんだろう。どういう意味があったんだろう・・・と考えている自分に気が付くことが多くなりました。
考えても、良く分からない事、あ~このために起こったのかと気づく事など様々ですが、
全般的に、前向きに捉えて取り組んだ課題には良い気付きや結果が伴っている事が多いと感じます。
逆に投げやりだったり、知らんふりをしていた課題では良い結果は得られていません。
なかなか奥深いものです。
『一時の感情で対処するのは良くないのか』と、この年になってようやく思います。
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