思考は人間として生きるためにはどうしても必要なものですが、思考のしくみとして、リスクを避けるためにあえてネガティブに考える特性があります。
心や思考が作り出すものとして、良く例えられることに≪コップに半分の水が入っています。≫半分も入っている。と考えるのか、半分しか入っていない。と考えるのかによって180度考え方が変わってきます。
苦悩が生まれるか生まれないかは、それぞれの”思考のクセ”や状態によって変わってきます。同じ光景を見ても、見る人の”思考のクセ”で苦悩を生んだり生まなかったりします。
そして、思考に人は惑わされる事になります。世の中の事象、喜怒哀楽の感情さえも、全て思考が造り出しているとも言えます。
その人が造り出したモノ(思考)に惑わされて、正しい判断や正しい行動が阻害され、心が感じる、豊かさ、穏やかさ、感謝、さえも見えないようになってしまいます。
昨日の続きになりますが、臨済宗中興の祖である白隠という禅僧に対して、若い武士がこう聞きました、「なあ、坊さん、地獄ってほんとうにあるんかいな?」白隠は「バカタレ!侍のくせに地獄が本当にあるかなんて気にしとるとは、呆れ果てたわ。この腰抜け侍!!」と罵ったのです。
若いお侍さんはその言葉に非常に怒り、鬼のような形相で刀を抜き白隠を斬りつけようとします。
そこで白隠が一言、「それが地獄じゃ!!」はっと我に返ったお侍さんは、「地獄の場所、よくわかりました。」と、白隠にひれ伏したという事です。そこで白隠は「それが極楽だよ」とにこやかにお侍さんに伝えたと言われております。
我々が感じている殆どの感情は、自分が自ら作り出しているモノであり、起こっている感情に理由を付けているにすぎません。
日頃から自分の心や感情に目を向けて、より穏やかに過ごせるように意識して行きたいと思います。
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