このブログ全体を通じて、『ネガティブな感情』(怒り・不安・恐れ・など)を否定的に表現していると思われると思うのですが・・・
この『ネガティブな感情』自体は、生きて行く上で必要だから備わっている感情です。
自分自身を守るためのアラームの様な物であり、自己防衛するために「危険ですよ」と警告しているのだと思います。
昔の様に野生動物などの危機、盗賊などの人的危機、このような外的危機から、自分自身を守るために、不安や恐れが生じて警告を発する。
いざというときに戦う為に、怒りという恐れをも、ものともしない強いJ感情が生じ自らを守れるようにする。
など、必要な場面は色々あります。(現代でもそのような危険にさらされてる地域はあると思います。)
ただ、現代では基本的な安全が確保されている状況が殆どだと思います。
この場合、必要以上に『ネガティブな感情』が発せられる場合には様々な障害が出て来ることになります。
基本的な安全が確保されている現代では、危険=対人関係・環境・などの自分が傷つけられる事柄(身体的ではなく内面も)になると思います。
昔の身体的な危険から、内面的な危険(傷つく事や思い通りにならない事)に危険の種類が変わって来ています。
この変化は、無意識の内に起こっています。当然、生命維持機能として備わっているセンサーなので、重大な危険(身体的な危険)が無くなれば、次の危険(内面的な危険)に対象が移って行くのは当然の流れです。
この内面的な危険は、本当に危険なのか? 自分が作り出したエゴでは無いのか? 自分が抱えている観念や常識では無いのか? このことを、改めてよく考えて欲しいとの思いをブログを通じてお伝えをしております。
全ての『ネガティブな感情』が悪者で、撲滅しなければいけない!との誤解を招く可能性があると思い、今回の内容としました。
『ネガティブな感情』が悪いのではなく、『ネガティブな感情』を引き起こす考え方を訂正して行きましょう。という内容となります。
内観や瞑想も内面的な考え方や思想を形成するための物です。人間に備わっている機能で不必要な物はありません。とお伝えいたします。
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