今まで経験した辛い出来事は、今の自分を形成する上で必要な出来事だっのではないかと、ほんの少しだけ理解し始めている気がしてきています。
辛い経験からたくさんの学びを得た事によって今の自分が存在する。そんな感じの理解です。
そう考えると、メッセージで伝えられている通り≪全ては必要で起きている≫なのでしょう。
一つ一つの出来事に、どのような学びがあったのかは、不鮮明な事も多いのですが、様々な辛かったことを思い返すうちに、学ばせてくれた事への≪感謝の念≫という感覚を一部では味わうこともできます。割り切れない事もたくさんありますが・・・・
幼少期に辛かったこと、学生時代に辛かったこと、社会人になってから辛かったことが、それぞれその時々で、納得・我慢・反発・方向転換・自己犠牲・などの対応を必死に?懸命に?してきていました。
≪人生は学びである≫との認識は、メッセージを受け取りようになった十数年前からあるのですが、≪感謝≫のような感覚を味わう事があるとは考えてもいませんでした。
≪全ては必要で起きている≫=今の自分に足りていない学びが訪れる。と言う事なのでしょう。
そう考えると、試練・学びは自分を成長させるためのプログラムであり、そこからしっかり学ばなければいけないものである。と、推測する事が出来るのではないでしょうか。
とは言え、そう簡単に理解は出来ないし、辛い物は辛い! 出来るなら避けたい! だと思います。
しかし、辛い経験からは学ぶことも多いと実感される方も多いのではないかと思います。
≪人生は学びである≫⇒≪全て必要で起きている≫と解釈できるなら、試練と呼ばれる辛い経験も少しは軽減できるのではないかと考えます。
人によっては、そんなに簡単に片づけられないような辛い試練を経験されている方もおられると思います。
気休めにしか聞こえないかもしれませんが、未来を信じて、出来るだけ前向きに進んで欲しいと願うばかりです。
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